夏休み明けの子どもの自殺が気になります。
我が家も身近な家族もそんな心配をするような状況はありませんが、それでも報道を見聞きしていると、中高生の自殺が気になり心が痛みます。 なぜ子どもたちは自殺を選ぶのでしょう。自殺をするお子さんの親はまさかわが子がそうなるとは思っていないのではないでしょうか。 だとすると、我が家も心配ないとは言っていられないのではないかと不安になります。
2016年度の自殺対策白書によると、10代~30代の若者の「死亡原因」の第一位が自殺です。これは先進国の中でひときわ高い比率です。
中学生や高校生では、長い休暇が終わるときに自殺の件数が増えるようです。
今年も、8月末には子どもたちに対するメッセージが発信されたり、教師たちが子どもを自殺から救う対策を練る地域もありました。
なぜ日本の若者は自ら命を絶つのでしょうか。「いじめ」がその理由として挙げられますが、それだけではないはずです。
子どもの自殺を「いじめ」などの単一の原因に特定して終わりにせず、根本的な意識改革に乗り出さなくてはいけないと感じます。
社会的には日本特有の文化的な背景があります。かつて日本には、切腹の文化があり、恥をかくより自死するほうが潔いという考えがありました。
死を美化する文化があるのです。例えば、海外の文化と比較するとキリスト教では自殺は罪であるとされています。
そういった文化的な背景が自殺の根底にはあるのです。
教育的な観点からみると、日本の教育は点数で子どもを評価する傾向が大変強く、子ども一人一人の存在価値が問われる人格教育には
あまり力を入れていません。
学校では、下手をすると、点数イコール人間的価値と思われる可能性があります。
今後は、一人一人の尊厳を守ることや、一人一人の価値を認める教育が求められるのではないでしょうか。
では、これらの背景の中にありながらも、子どもを健全に育て、自死から守る要素はどこにあるのか、それは家庭です。
家庭で求められるのは、子どもの生きる力を育てることです。その提案が、愛すること、責任、人の役に立つ喜びなのです。
私たち親の最も大切な仕事は、子どもが愛されていることを、彼らにわかるように伝えていくことです。
「好きだ」と言い、抱きしめ、ともに楽しみ、いけない時にはしっかり諭す。彼らとともに日々生きることを楽しみ、真剣になることです。
その中で子どもは生きる根っこを育てます。そして、責任を教えるために、必要以上の手出しをせず、子どもの考える力を伸ばします。
その中で、彼らは自分の「できる」を確認していきます。「できる」自分を確認して育った子どもは、自信をもって世の中に出て行こうとします。
人の役に立つ喜びは、この世になくてはならない存在としての意識の種をまきます。
子どもたちは何らかのやり方で、社会の役に立とうと、その道を探すようになります。
私たちが提案する子育ては、世の中がどうであれ、まず我が子を強く幸せに自立させていくやり方です。
結局最後に子どもを守るのは親です。そして、親が守るのではなく、子ども自身が自らを守れるように、その力を育てたいと思います。