親は子どもの携帯を見るか?
中学生の娘の友達の親たちと、「子どものメール見る?」と話題になり、気持ちの整理がつきません。 私自身はたとえ相手が子どもでも、人のメールを見るのはよくないと思います。
ところが他の親たちの心配ももっともだと思います。
最近この年頃の子どもが巻き込まれる事件も多く、それはメールを見ていれば未然に防げると思います。
実際、何人かの親は子どものメールを見ているようです。
コミュニケーションの手段のひとつとして、メールやラインが子どもの生活に浸透している今、それを見ることができれば、
親は多くの情報を手にすることができます。
ですから、子どものメールを見たいという親の気持ちはよくわかります。
ところがそれを見られる子どもの気持ちになってみれば複雑です。
盗み見する親は許せないでしょう。そんな親は信頼できません。
親に何でも話していたころとは違い、子どもは段々と親に心の内を見せなくなっていきます。 それは、気持ちの整理を親に頼っていたところから、自分で自分の気持ちと向き合うことを学び始めている証拠です。 親としてはその成長をおおらかな気持ちで受け止めたいものです。
そんな中、子どもは自分の気持ちを見せる相手として友達を選びます。 子どもが誰と付き合い、どんな話をしているかは親としては大変興味があると同時に、心配の種でもあります。 気持ちの整理がまだまだうまくない子どもは、いきおい過激になりすぎたり、思いつめすぎたりします。
親としては、そんな気持ちの変化を携帯のメールに現れる友人との会話ではなく、親自身の観察力に頼りたいものです。 生まれてからずっと一緒に暮し、育ててきた子どもです。 親が意識を持てば、日々の子どもの様子の変化は分かります。
10代の子どもに対する愛は見守ることと認識し、これまで以上にその微妙な変化に気づく努力をしたいものです。
もし心配する気持ちが強いようであれば、携帯を持つ最初の時点で定期的な親の点検を約束しておくことです。
それには子どもも納得する理由が必要です。
私たち親にとっても、友人は人生の重要な一部です。
その友人との会話を誰かほかの人に見られるというのは、納得のいく理由がない限り、受け入れられません。
それ以外の携帯使用のルールとともに、子どもが基本的にそのルールに沿って携帯を使うよう見守りましょう。
「子ども」という以上に「一人の人」として見て、その気持ちを尊重したやり方を工夫したいものです。