投資で得た気づき
奈良の清瀬です。
藤岡さんの毎年目標設定をして、試行錯誤しながら少しでも実践している姿は尊敬です。
私も学びの中から目標設定が大事だということ、する機会を何度も頂きました。
その度に、私は目標設定をするのが苦手だと気づいてきました。そしてその原因にも。
最近、ちょっと面白そうな投資をしました。
私は、宝くじを買った事がない。
当たるとも思わないし、それにお金を使うならそのお金で、現..
2025年01月20日(月)
No.709
(日記)
一年の計は・・・
★★★第21回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」★★★
【日時】2025年2月2日(日)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/9c055700842721
今年最初のカフェのテーマは、「"聴く"効果とコツ」。菅原典子さんの日記「気づいたときがその時」を題材に語り合います。
「今ごろ聴くコツを知っても」「もっと早く知っていれば」と思ったあなた。筆者がまさにそうでした。それでも変化と効果を手に入れることができ、その経験が日記のタイトルとなりました。
この日記を読んで、さらに知りたくなったり、ちょっと話したくなった方。
子どもの話を聴くつもりが、いつのまにか自分が話している方。
思春期のお子さんの変化に戸惑われている方、
ぜひ、ご参加ください。
※ 前回までの様子はこちらでお読みいただけます。
★★★
愛知県の藤岡です。
和木さんの「心の余白」を読んで、子どもとの会話で、時々私の口調がキツくなっているのが思い浮かびました。普段から心や時間の余白を持って、できるだけ笑顔で過ごしたいと思います。
さて、この原稿を年の初めに書いています。
ここ何年か、「今年の目標」を考えるようにしています。
数年前まで私がよくやっていたパターンはこんなふうでした。
お正月に「今年の目標を立てるぞ!」と、紙とペンを持って思いつくことを(こんな年にしたい、これをやりたい、など)いくつも挙げて、「目標を立てたぞ。これをがんばる」と気持ちを新たにする。
数日間は覚えていて、できることを実行する。
…が、1週間1か月と経つうちに、忘れがちになり、
数か月すると、すっかり忘れている。
年末近くなって思い出し、振り返ると(できたことがいくつかある。けど、これはやっていない、これは守れなかった…)と自分のできなさを実感する。
(計画を立てて実行するのは、私はニガテなんだな)と思っていました。
(自分はできない…)と残念な気持ちで、自信を持てない、どうするといいのかもわからない、そんなふうに感じていました。
2025年01月13日(月)
No.708
(日記)
心の余白
★★★第21回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」★★★
【日時】2025年2月2日(日)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/9c055700842721
日記を読んだ後、ちょっと誰かと話したくなることはありませんか? 感想や気づき、さらに知りたくなったことなどなど。
このカフェでそれを気軽に実現できます。筆者や他の参加者たちとおしゃべりしながら、自分の毎日に活かすヒントも持ち帰ることができます。
2025年最初のカフェのテーマは「"聴く"効果とコツ」、取り上げる日記は菅原典子さんの「気づいたときがその時」です。
聴き方のコツを学んだものの「もう今からじゃ・・・」と思った筆者が、なぜ、どうやって実践できたのか。子どもたちにどんな影響があったのかを綴っています。
「聴く効果」を実感した筆者と語り合いながら、あなたに合った聴き方のコツ、見つけてみませんか?
※ 前回までの様子はこちらでお読みいただけます。
★★★
功刀さんの日記を読みながら、子どもが遊びに行ったあとに携帯で居場所を確認した自分を思い出しました。
今子どもは小学3年生。ランドセルにはGPSが入っています。私の子どもへの心配事はしばらくは尽きなさそうですが、それを「大丈夫」と思える信頼関係を築きながら、子離れ策を講じていきたいなと思いました。
明けましておめでとうございます。広島の和木です。
2025年がスタートしましたね! 一瞬で終わってしまった去年を振り返りながら、今年は何を大切にしていこうかと考えがまとまったところです。
今年私が大切にしたいのは、「余白のあること」です。どんなことにも心に余白を持って取り組もうと思っています。
私は物事に対しても、人に対しても、ゆったり行きたいタイプなので、文字にして改めて見ると、自分にぴったりの私らしいものだなと、なんだか1年うまくやれそうな気がしてきました(笑)。
さて、この「余白のあること」を大切にしたいのには、もちろんワケがあります。
私は今、9歳と2歳の子育て真っ最中。下が強めのイヤイヤを発動し、上も「自分がしたいこと」をはっきりとさせ行動に表すようになってきました。そのなかで私との衝突(というと少し大げさかもしれませんが)、「え、なんで?」ということが増え、そのイライラを子どもたちが受け取ってしまったのが目に見えるようになったからです。
2025年01月06日(月)
No.707
(日記)
心配性・・・?
親子に限らず人と付き合う上で、「傾聴」がいかに大切なことか。菅原さんの日記を読んであらためて感じました。
こんにちわ、東京の㓛刀(くぬぎ)です。
我が家では今年の11月、父がスマホを機種変したことをきっかけに、父、私、息子の三者が互いに位置情報を共有できるようになりました。
2週間ほど前のことです。父と息子がふたりで映画を観に行きました。
映画の終了時間から2時間ほど経ち、何の気なしに二人の位置情報を見ると、父と息子の位置が100メートルほど離れています。88歳の父が足の早い息子と離れてしまったのかと心配になり、「おじいちゃんと離れちゃったの? 大丈夫?」と息子にLINEしました。息子からはすぐに「一緒にいます」と返信がありました。
家に戻ってきた息子に「さっきはおじいちゃんが迷子になったのかと思ってさ」と話しかけると、息子は顔をこわばらせて「位置情報を見過ぎだってば!」と言い放ちました。
その言葉を聞いた瞬間、私は動揺して、「見過ぎってどういうこと? 私は今日一度しか見ていないしヒマじゃない。失礼なこと言わないで!」と声を荒げてしまいました。本来なら冷静に息子の言葉に耳を傾けるべき場面だというのに。
ここで、皆さんに軽蔑されるかもしれない告白をします。確かに私は位置情報のアプリをスマホに入れてから、日常的に息子の位置情報を見ていました。最初は1日1度くらいでしたが、息子がイギリスに修学旅行に行ったことをきっかけに頻度が増え、見ることへの抵抗感も徐々に薄まっていきました。
2024年12月30日(月)
No.706
(日記)
気づいたときがその時
東京の菅原典子です。
子どもたちも大学生と高校生になり、そろそろ親としての出番も終わりが見えてきた我が家ですが、今までの私の22年の子育てを振り返ってみると、反省と後悔だらけなのが正直なところ。
そんな、苦い思い出の多い私の子育てですが、「じっくり話を聴く」ことで起きた我が家の変化について書きたいと思います。
私がハートフルコミュニケ―ションで学び始めた時、子どもたちは既に中高生。特別深刻な問題や困難があったわけではありませんでしたが、学べば学ぶほど、幼少期にできていなかった(意識していなかった)ことにたくさん直面し、時すでに遅し、などと、正直残念な気持ちと後悔でいっぱいになりました。
講座で習ったことを、しっかりと小さいころから実践していればよかった、、、うちの子どもたちはきちんと一人前に自立できるのだろうか、などと心配や不安も芽生え、また、子どもたちに対して、ちゃんと子育てできていなくってごめんね、、、と、罪悪感のようなものも感じました。
2024年12月23日(月)
No.705
(日記)
君の歩んできた道は
石垣さんのブログを読んで、自分にもたくさんの「初めて」があったことを思い出しました。
東京の平沢です。
こんなふうに育つとはなぁ、としみじみ思う師走。今回は、来年4月から社会人となる長男について書きたいと思います。
小さい頃から長男は、「これ」と決めたことにしか、頑として動かないタイプでした。
親としては、いろいろな経験をさせたいと思い、小学生の頃から地域や大学の体験イベントなどに連れていきましたが、結果は大体彼が不機嫌になって終了。当時流行っていたプログラミングの体験イベントに参加したときには、教えてくれるボランティアの大学生に対して終始ふて腐れた態度を取り、帰り道で親子喧嘩に発展しました。 私は「礼儀知らずだ」と叱り、長男は「そもそも興味がなかった。それに、隣の子はできているのに、自分はできない。だから嫌だった!」と主張。
小学生時代はそんな感じで、彼の「頑固さ」や「譲らなさ」にどう向き合って良いのか分からず、悩みました。親としては「良い経験をさせたい」「多くの可能性に触れてほしい」と思ってのことなのですが、彼は興味のないことに対してはまったく心を動かさず、全力で拒むという繰り返し。
なにしろ、彼の当時の興味といえば空想遊び。ウルトラマンなどのヒーロー(怪獣?)ものが好きだったからか、ナニモノかになりきって、見えない敵と戦うといった一人遊びをよくしていました。
今、思うとその時間は彼にとって想像力を膨らませて遊ぶ、とても大切な時間だったのでしょう。私からすると、何気ない日常の一コマでしかなく、「そんなことより、様々な良い体験をさせてあげないと!」と息巻いていたように思います。
2024年12月16日(月)
No.704
(日記)
たくさんの「初めて」
鈴木さん自身を動かし続けるエネルギーについて書かれた日記を読んで、私はこんな風に自分を俯瞰してみたことがなかったのでとても興味深く読ませていただきました。
石川県の石垣です。
私は来月、娘のいるアメリカのポートランドに行きます。娘のオペア留学終了に合わせて行き、帰りは一緒に日本へ戻る予定です。この歳になって、往路は初めての1人海外!今からドキドキしています。
さて、振り返れば第一子の娘ができてから、私にはたくさんの「初めて」がありました。今回はそのことについて書きたいと思います。
最初の「初めて」は、もちろん「母」になったこと。娘を妊娠し、胎動が始まった頃から母になる自覚が強く芽生え始めました。そして、出産。生まれたはかりの娘の愛くるしさに、私の中の母性が溢れ出したのを覚えています。
2024年12月09日(月)
No.703
(日記)
「面白さ」と「人の役に立つ喜び」
瀧澤さんの海外生活での貴重な体験の裏にある不自由さとの葛藤は、私にとって、まさに自分ごと。インドネシアの鈴木です。
今回は、「面白さ」と「人の役に立つ喜び」にまつわる私を動かし続けるエネルギーについて書きたいと思います。
私は子どもの頃から、何かにハマると寝ても覚めてもそのことばかり。生きものにハマっていた小学生の頃は、学校から帰ってくれば地面に這いつくばって、時にはバッタ、時にはコオロギ、時にはカマキリ、時にはカタツムリと、あらゆるものをとにかく集める。モンシロ蝶やアゲハ蝶にハマれば卵を集めては孵化をさせ、蝶になるまで育てる。それも大量に!縄跳び、鉄棒、コマ回しにハマれば、朝早起きして一人で黙々と自主練。放課後も自主練。手芸ビーズ、クロスステッチにハマれば、とにかくそればかり。
大人になってからのここ10年ほどはパン作りにハマり、作りたいパンの師匠を見つけては教えてもらいに出かけて行く。気づけば本棚はパンに関する本だらけ、オーブンは2台になり、ミキシング用ミキサー、発酵器まで登場。ドハマり期は朝の2時3時に起きて、家族の朝ごはんには焼き立てパンがある、というパン屋のような生活をしていました。
このように、私を魅了する「面白いもの」は私を内側から突き動かすエネルギーです。
しかし、色々な「面白いもの」に出会っていくうちに、「面白さ」は私を動かす起爆剤にはなっても、それだけで同じ熱量を保ち続けるのは難しい、ということも分かってきました。自分の中の満足ポイントまで到達するとそれで終了してしまうのです。
2024年12月02日(月)
No.702
(日記)
自分らしい選択
清瀬さんの日記を読みながら、成長していく息子さんの姿に、我が家のマイペースな一人娘を重ねて考えていました。できると信じてもらいながら、見守られ、任されたり、頼られたりする環境は安心して成長できる大切な場だなぁと感じました。そんな環境を私も作っていきたいなと思いました。
タイの瀧澤です。今回は、「いやいややっていることはありますか?」という問いから気付いたことを書きたいと思います。
今から13年前、夫が海外で働くことになり、私たちは一緒に異国での生活を始めました。
海外生活は新しい発見や貴重な経験ができる一方、日本での生活に比べると制約も多く感じられました。
習慣やシステムの違い、言語の壁もあり、日本にいたら自分で簡単にできることが、思うように進まないことも多々あります。
最初の数年間は、友人と離れ、仕事を辞め、夫以外には知り合いもいない土地で、生活に慣れること、家族が安全に幸せに暮らせることに集中する日々でした。
妊娠、出産を経験し、育児に追われつつも、友人ができ、フランスでの生活に慣れたころ、夫のタイへの転勤が決まり、再びゼロからのスタートを切ることになりました。
ここでも私は変わらず、家族が安全に幸せに暮らせる環境を整えることに専念しました。海外生活に伴う制約も、「仕方がない」と受け入れるようになっていました。
タイ生活も長くなり、幸せな生活を送ってはいるものの、心の奥には「いつまでこの海外生活が続くのだろう?」というモヤモヤした思いが生まれるようになっていました。成長する娘の進路や、自分自身の今後について考える中で、そのモヤモヤは次第に大きくなりました。
2024年11月25日(月)
No.701
(日記)
子どもが変わる時
奈良の清瀬です。
音楽が藤岡さんの子どもの成長を感じるきっかけであったことにとても共感しました。
我が家もスマホを持つようになって、知らぬ間に色んな音楽と繋がっています。なんでそんな昔の歌知ってるのということもよくあります。
聴く曲も沢山の中から自分で選択して、今どき(流行りや操作方法)を教えてもらうことばかりです。
我が家の末っ子次男は小学6年生の男子。
学校でもいちばん小さくて、自由人で、ずっと面倒を見てもらう可愛い子ポジションです。
長男や長女ではありえなかった、信じられないようなびっくりすることばかりが起こって、怒ってしまうこともありますが、それでも、上の子たちからの学びのおかげで、あるがままを見て、受け入れるように意識しています。
そして、面倒見の良い長女(3つ上)が私よりも母のように過保護に育てました。
だからなのか、とても幼いなぁと感じたり、このままでいてほしいとも思ってしまいます。
しかしながら、当たり前だけれど、目に見えないところで成長していたようでした。
2024年11月18日(月)
No.700
(日記)