みんなのおかげ
安村さんの日記を読んで、これだけは!とお子さんに教えてこられたことが花開き素晴らしいと思いました。お料理のアイデアもきっと3倍になって返ってくるのではと思うと、安村家の食卓をのぞいてみたくなりました。
埼玉の岩田です。
長女を出産し退院した日は、まるで誕生を祝福するかのようにたくさんの桜吹雪が舞っていました。あれから22度目の誕生日。
今年の長女の誕生日には父と母と娘たちと総勢5人が集まってみんなでお祝いすることができました。一人でやってきたように感じていた日々でしたが、実はたくさんの人の力を借りて今があるということに気付いたことを書こうと思います。
かつての私は、何かひとつのことに集中してしまうと他のことも目に入らなくなってしまうところがありました。
例えば夫の介護中には夫のためと思い、無農薬野菜や無添加食品が良いと聞けば食材を探し回りました。市場に出回っている食材では限界があり、ネットショッピングや出先で見つけた健康食品など、来る日も来る日も食事のことばかり考えていて、それを調理して食べる頃にはヘトヘトになっているような日々でしたが、ある意味それが妻としての使命のようにも感じていました。
2024年04月22日(月)
No.668
(日記)
教えてくれる?
大阪の安村です。
平沢さんの日記をよんで、「メモ+メモが目につく環境づくり」なるほどと思いました。私も、メモが目に付く環境づくり、やってみようと思います。
今回は、教える側から教わる側になったと感じたことを書こうと思います。
子どもたちが大人になった時、自分の食事くらい自分で作れた方が食べることに困らないでいいと思い、小さな頃から料理の手伝いをしてもらって少しずつ子どもができることを増やしていきました。
例えば、一番下は、レタスを一枚一枚はがす、もう1人は、ドレッシングを混ぜる、一番上は包丁で材料を切るというように、その子ができるお手伝いを。
2024年04月15日(月)
No.667
(日記)
記憶術のキモは
なんと偶然にも、昨年度は我が家も家族会議を開催していました。家族はひとつのチームに共感。やってみての後日談も聞いてみたいです。
東京の平沢です。
突然ですが、私は記憶力に自信がありません。たまに、昔あった出来事を克明に覚えている人がいて驚きます。うらやましい限りです。
以前聞いた話なのに、初めて聞いたとばかりに驚いて、逆に驚かれたりします。例えば、「え〜っ、●●さん、双子だったの?」と私、「いや、前に話したよ」と友人。
言われて、はたと思い出すこともあれば、まったく覚えてないこともあります。同僚から、「20年くらい前に、平沢さんのお姉さんのうちに泊めてもらったことがあるよね」と懐かしそうに言われた時は、本当にたまげました。確かにその同僚とは、仕事で姉のうちの近くに行きました。けれども、姉のうちに一緒に泊まったという、記憶がすっぽり抜け落ちている。我ながら空恐ろしい気持ちになります。
長年一緒に過ごしている夫からは、なかば呆れたように「本当におぼえてないの?」と言われることがしばしばあります。どうやら、私の脳内には鍵がかかる箱があり、体験したことはそこにポイポイとしまわれて、厳重に鍵がかけられてしまわれるらしい。いやいや、そもそも、脳の機能のどこかが欠落しているのかも・・・と、ことあるごとに思ってしまうのです(ちなみに暗記能力は普通です)。
家族や友人との間なら、「忘れっぽい人なのね、そんなキャラもいるよね」と許してもらえることも、こと仕事や家の重要なこととなるとそうはいきません。では、どうしているのでしょうか。
私の記憶力を助けてくれる心強い相棒…それは!
2024年04月08日(月)
No.666
(日記)
やってみた! 家族会議
我が子を信じるお母様の態度から小さな鈴木さんがお母様との信頼関係やご自分の信念を築いていった過程を追体験させてもらって、私は親として子ども達に何を残せているだろう?と考えさせられました。
石川県の石垣です。さて、みなさんは【家族会議】をご存知ですか?
【家族会議】とは、問題を解決し、より楽しく快適に過ごすために家族みんなで開く話し合いのことだそうです。今日は我が家で始めた【家族会議】について書きたいと思います。
4月から6年生になる息子はとってもマイペースで、自分がやりたいこと以外はなかなか腰が上がりません。例えば、食べたお菓子の袋や、使い終わったマスクなど、ゴミ箱の場所や分別方法は分かっているのですが、捨てずにリビングの机や床、時にはソファーの下に散らかしているのです。他にも、制服は脱ぎっぱなし、脱いだ洋服が裏返ったまま洗濯籠に入っているなど、何度注意しても直らない行動の数々。
「またか…。」という失望とイライラが入り混じって、私は嫌味を言ったり、時には大きな声で感情的に怒っていました。温厚な夫も時には声を荒げてしまうほどの息子の行動に、夫婦共にほとほと困っていました。そこで、私は【家族会議】を開こう、と思ったのです。家族会議を知った当初は、話し合い学習が好きな息子にはいいかも!と思ったものの、「なんだか面倒くさそうだな…」と感じていて、2年越しの決心でした。
2024年04月01日(月)
No.665
(日記)
信じることの意義
バイアス=排除すべきもの、という感覚でした。しかし、瀧澤さんの日記を読んで、バイアスは自分自身のものの見方、ひいては価値観であり、それは気質や環境によって育てられた私そのもの。排除するのではなく、知ることが大切だなと思います。
インドネシアの鈴木です。
今回は、「子どもを信じることの意義」について書きたいと思います。
ここジャカルタでは、小学生は保護者の送り迎えが必須。
我が家は学校から徒歩5分の距離にあるため、ほんのわずかな時間ではありますが、息子と一緒に歩く時間は貴重なお喋りの時間。学校での出来事が消化しきれていない帰りの時間は、楽しかったこと、嫌だったことが感情のままに出てきます。
そんないつもの帰り道。息子が、
「先生がChatGPTを使わなかったか? って聞くんだよ」
と話すのです。
何ごとかと思ったら、その週の月曜日に提出したストーリーについて、「ChatGPTを使わなかったか?」と先生から尋ねられたとのこと。
息子が「使っていない」と答えたところ、先生は「そんな顔で私を見るんじゃないよ。確認したんだからね。両親とも話をする」と言っているようです。
2024年03月25日(月)
No.664
(日記)
バイアスとの向き合い方
チャウさんの日記を読んで、レジリエンスを育むことは人生を謳歌するために必要なことだなと改めて感じるとともに、ネガティブな感情に寄り添い受け止め言語化することを自分に対しても、周囲の大切な人に対してもしてきたかな、と振り返るよいきっかけになりました。
ついついネガティブな感情を避けようとしてしまいがちな私ですが、レジリエンスを育むチャンス到来と前向きに、寄り添い受け止めたいと思います。
タイの瀧澤です。
先日、大学のオンライン授業でバイアスについて話し合う機会がありました。バイアスとは思考や判断の誤り、歪みのことで、誰にでもあるものだそうです。
思考や判断を誤らせるバイアスに、私はネガティブなイメージを持っており、自らが持つ認知の歪みをなくしたいと意識して過ごしているつもりでした。にもかかわらず、その授業で行った確証バイアスの例を挙げるアクティビティや心はどこにあるかの問いについて考察し意見交換をした際に、自らが気付かないうちにバイアスをかけていたことに気が付かされるという体験をしました。
この体験をしてから、これは私の中でバイアスが発生していたのだな、と思った出来事がありました。
2024年03月18日(月)
No.663
(日記)
自分の感情に寄り添ってみたら
落合さんの日記を読みながら、私もカナダで長年暮らしている側の者として病院との関わりを振り返っていました。初期の頃、病院にいくのも恐る恐るで、ちゃんと症状を伝えられないのではないかと、辞書で調べて書き出してから病院に行っていたのを思いだしました。
おかげさまで出産を始めこれまで医療者の方々には親身にケアしていただき、今では信頼して通うことができています。相手はきっとわかると信じて、いろいろな表現で伝えようとしてくださること、本当にありがたいです。
カナダのチャウです。
保育や子どもに関わる仕事をしようとカレッジで学び始めて1年半が経ちました。学んでいくなかで、保育者として子どもをどのような対象として見るかという基本的なこどもの捉え方が、何度も繰り返しでてきます。それは、「子どもは有能で、複雑な思考ができ、好奇心旺盛で、可能性に満ちている」というフレーズです。
そして、元々このような存在である子どもたちにどんなカリキュラムや学びの環境づくりを用意できるのか、というのが私たち親や保育に関わる大人の在り方だと教わります。子どもにとっての学びは遊びの中にあるので、子どもたちが示す興味や関心をベースにそこから彼らの「面白いからもっと知りたい!」という自然な欲求を探求させてあげる環境づくりが必須と習います。
文はさらに、「子どもの家族は、有能で好奇心があり、豊富な経験をもった一人一人からなっており、保育者は、有能で、好奇心があり、豊富な経験がある」と続きます。このような見方を持った時はじめて、幼児期の子どもに、本当の意味でよい環境を用意することができるというのです。
実は、私はこれまでこの文言を読むたびに、どこか複雑な気持ちになっていました。
2024年03月11日(月)
No.662
(日記)
伝わるように、伝える
さいたまの落合です。
渡海さんの、「大発見をします。『本を読む事は、何通りもの人生を生きるという事だ』」の一節を読んだときに、何通りの人生の送る人からのメッセージを受け取ることができるんだと思い、世界が広がった感覚になりました。
助産師をしていると、嬉しいことにたくさんの方に会うことができます。そのなかには外国人の方もいらっしゃいます。コロナウイルスが蔓延した頃から、日本に住む外国人妊産婦さんに、NPOのスタッフとして月に1回程度、同じ国の言葉を使う人たちのグループごとに通訳さんと一緒にオンラインの相談に応じています。
先日、「やさしい日本語」(医療版)という研修をうけてきました。
「やさしい日本語」とは、難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語のことです。始まりは阪神淡路大震災で日本語を母国語としない方々の被災件数が多かったからだそうです。少しずつ普及し現在では漢字にルビを振ることや、「避難」と言う漢字を「すぐに、にげて!」わかりやすい言葉で表示しなおされるように工夫がされているとのことでした。
2024年03月04日(月)
No.661
(日記)
出会いがくれた学びの力
兵庫の渡海です。子供との関係を作るには、こちらが素直になること。それが子供たちの素直な反応となり、親を育ててくれる。岩田さんの言葉に、私も自分がまず素直になることの大切さを感じました。
今回私は、幼少期の出会いがきっかけとなり、私の人生を照らしてくれている「学び」について、考えてみようと思います。
奈良県の田舎に育った私は、遊ぶところも少なく、多くの時間を図書館で過ごしました。
そこには、大好きな司書のお姉さんがいて、私がウロウロしていると「何探しているの?」とか、「これおすすめだよ」と私が好きそうな本を教えてくれたり。「これ読んでください」と言えばいつでもニッコリ笑顔で答えてくれました。この司書のお姉さんのおかげで、私は図書館が大好きになっていました。
そしてこの図書館で、私はたくさんの本と出会い、たくさんの感情を味わい、たくさんの自分が知らなかった物事や事実を知ります。その中の一冊が、『トミーが三歳になった日』です。
壁の外を眺める可愛らしい男の子の表紙に、美味しそうな食べ物、綺麗な花の絵やおもちゃに惹かれ手に取ったこの本は、チェコにあったテレジーン収容所に隠されていたスケッチブックに解説が足され出版された、ユダヤ人画家の本でした。
2024年02月26日(月)
No.660
(日記)
10年越しのギフト
埼玉の岩田です。
安村さん、断捨離のツールゲットおめでとうございます。そして怖さを乗り越えてのトライのお陰で、使わなくなった物も再び陽の光を浴び、ハッピーなお話しでした。
私は、初めてコーチングが役に立った話を書きたいと思います。
「ママに頼ってばかりでいけないと思う。自立をしたいから一人暮らしをしたい」
と、昨年度から娘は一人暮らしを始めました。
その時の私は淋しい気持ちは多少ありましたが、娘が自分から家を出て行くと言ってくれたことに内心ホッとしました。いつも一緒に居ると娘ができることでもついつい手を出してしまい、本当に必要なことを分かってあげられていないと思ったからです。離れることで、分かることがあるだろうと、一人暮らしには大賛成でした。
2024年02月19日(月)
No.659
(日記)